誹謗中傷で残るものは?
最近のコメントを読み返して、藍玉ブログに誹謗中傷コメントがついたのは2007年の冬。
(*そのコメントは非公開にしてます)
時間も経ったので、誹謗中傷について考えてみました。

■誹謗中傷の目的は何だろう?
このブログは宣伝コメントは若干多いけど、ありがたいことに誹謗中傷のコメントは少ない方だと思います。
数が少ないからといっても、誹謗中傷されると、気持ちのいいものではありませんね。
記事に対しての否定的な意見なら、考え方の違いだと受け止められるんですよ。でも、記事には関係ない、私自身を否定するコメントがつきました。
コメントがついたときには、ムキーっときたけど、時間が経つと「なぜコメントをしたんだろう?」と不思議に思います。そして、その人の気持ちを感じたくなります。
不快感を与えたいのかな?傷つけたいのかな?
その人が私に好意を持っていないことは確かです。すべての人に受け入れられることは不可能だと思っているし、そうしようとも思いません。
ほんの少しでも、心がプラスに動けば嬉しいなと思って、記事を書いているだけなんです。
誹謗中傷のコメントが、私に何らかのショックを与えることが目的なら、それを達成するのは難しいです。
誹謗中傷を受けても、それを乗り越え、糧にして歩いていくからです。
■誹謗中傷で残るものは?
誹謗中傷のコメントはどれもメールアドレスがでたらめ、URLも入っていません。匿名にして、身分を明かしたくないのでしょう。
でも、思うんですよ。
たとえ匿名にしたとしても、自分の心に誹謗中傷をした記憶が残るんじゃないかなって。
ふざけてとか、安易な気持ちで書いたのかもしれないけど、どこかで自分が同じことをされたとき、その記憶がよみがえるような気がします。そのとき何を感じるのだろう?
また、私はその人を知らないけど、その人は私に誹謗中傷したことを記憶してる。もしかしたら、いつかバッタリ会う機会があるかも。でも、それがどんなによい出会いだとしても、もう縁は繋がりません。
誹謗中傷で残るものを考えると、切ないです。
●参照記事
藍玉ブログ: プライベートの線引きをする理由
藍玉ブログ: 誹謗中傷を乗り越えるには
藍玉ブログ: 他人をうらやむ気持ち
藍玉ブログ: 不幸と幸福の基準
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コメント
>その人は私に誹謗中傷したことを記憶してる。
ですよね。
自分への戒めとしていることでもあります。
投稿: Ritty | 2008-08-11 22:01